オカルティックな金曜ナイト2009年08月22日 01:32

 オラは数年前に一度”三途の川”ってぇのを見て来たダす。
一瞬の間に、人生を走馬灯のように見る・・・という体験もしまスたダ。

 以前から”その気配”は自覚していたダすが、その日を境にして、オラの身の上には時折 理屈では説明のつかない出来事が起こるダすよ。今夜のログタイトルを「オカルティック」としたのは、それらの事柄が通常なら目で見える物事では無い分野になっちまうからなんダすけれどね。オラ、オカルトには殆ど興味が無いダす。だども、オラの身に起こった事実は事実として認めているダすよ。

 こういう話を他の方にすれば、大抵は気味の悪い奴だと思われるので、普段は滅多に話しませんダが、晩夏の思い出話として残しておこうと思うダす。ご興味の無い方は他のログをご覧下され(つまらぬログですが)



 小さい頃から親戚が代々宮司をしている神社で遊んだり手伝いをしていたダす。結構古くて大きな神社なんダすよ。高校生になると同時に袴を履いて神事の手伝いもさせられたダすな。また、母方の大叔母と叔母は、神道系の霊媒師でスた。恐山のイタコの鑑識を取得していたので、毎年祭の時期になると 恐山へイタコとして出向いていたりしたダすよ。 だもんで、恐らくはオラも神道系の血が混じっているのダしょうねぃ。子供ン頃から色々不可思議な体験をしてまスたもんで。

 あの日は、本当に突然のことでスた。酔っ払って、半分居眠りをしながら車をブッ飛ばして来たドライバーが、オラの乗った車に激突してたダよ。後部座席に居たオラの背に、ぶつかった車のボンネットがめり込むような形になっていたそうダす。首がね、ゴキって云ったんダすよ。ほいで、途端に意識が薄れてきて、思い出しもしなかった子供の頃や学生時代の思い出がどどーっ!とね、TVニュースのダイジェスト状態で、物凄い速さで溢れて来たダ。

「ああ、終わったな。こりゃ、死ぬんだな。ああどうしよう・・・」

オラは冷静にそんなことを心ん中で呟いてて、ほいでスイッチが切れたみたいにストンと意識が落ちたダ。

暫くして気が付いたら、スイスの高原風景によく似た場所に立っていて、綺麗な川が流れているのが見えたダよ。「あいや、これってもしかして・・・三途の川ダぁな?夢?現実?ところでオラって何してたんだっけ?」なんて事を考える余裕さえ有ったダ。だども、周囲には誰一人いないし、静かだったんダすよ。川の向こう側に誰かが立っているなんてぇことも無かったダ。そうしたら、声だけが響いてきた。

「お前にはまだやるべきことが残っている。戻れ。」

男か女かよく解らない深味のある声だった。戻れって、そりゃあ此処は心地良いダが、矢張り戻りたいよなあ・・・でもどうやって・・・なんて考えている内にハッと目が覚めたら 救急車で搬送されている途中だったダ。オラの横たわる傍で弟が泣いていたダ。

やるべきこと かー。
何をしなければならないのか解らねぇダが、兎に角オラはまだ死ねねぇってことか。ふぅん・・・とりあえず了解。

 そこから暫くして、オラの夢に見知らぬ黒髪の女性が出てくるようになったダよ。ある時 彼女はオラを地球の外まで連れて行ったダ。その後 オラにこう聞いてきた。「あなたはわたしたちとちょうわできますか」と。何のことか訳が解らず返事に困っていたら、そのままスっと消えたダよ。

不思議な夢から目覚めたその瞬間から、オラの目には、今まで見えなかった筈のモンが見えるようになっていたダ。植物の周りには光のタマタマが飛び、人間や動物の頭上には光の輪が見えたり、部屋の床をピンクの可愛いワンピースを着用したネズミがてってけてーと横断していったりねぃ。もうね、冗談じゃないかと。オラは病気なのか、あの時 実は死んでいて、今のオラは幽霊なんじゃないかと(笑 本気で悩んだダすよ。だども、メシは旨いし、ウンコも出るし、家族や友人とも会話できてるわけだから、間違い無く生きているよなぁ・・・なんてねぃ。

 また夢の中に彼女が現れたダ。今度はオラの方から聞いた。
「調和ってなんですか?」
彼女は相変わらず無表情で機械的な口調でこう云ったダ。
「こころをつなぐことです。わたしたちだけでは まだちからがたりないので、わたしたちとおなじひとをふやしています。」
その時オラはどこかの綺麗な海の上にいたダ。
突然高波がザーッとかかってきてびっくらこいた途端、目が覚めたダよ。

気になってしょーもなくてねぃ、ネットで色々調べているうちに ある方の残したウェブページと出逢ったダすよ。かつて某大型掲示板でVIPと呼ばれる存在となった方が綴ったものでスた。彼の実話は延々と10ページにわたって綴られているダすが、きっかけはオラと違えども、起こった事象に幾つか共通点が有ったダ。驚き半分、安堵が半分。兎に角ね、複雑な気持ちで読んだダすよ。ほいで、ページを丸ごとHDDに落として保存したダ。

これまで誰かのブログで彼の話が紹介されていたなんてぇことは、恐らく無いダしょうなぁ、ひっそりとUPされているページなんダす。今では一部のちゃねら(某大型掲示板の住人)の話題にのぼることさえ 滅多に無くなったダすなぁ。世代が変わってしまったのかも知れませんダ。オラたちは立ち上げ当時の住人ダすからねぃ;

 彼の残したページは今でも残っているダす。だども、ひやかし半分でのご拝読は なさいますな。オラも含めて、アンビリーバボォな体験をしちまった人々は”言わないだけ”であって、実際には世界中に沢山居るのだと思うダすよ。再度申し上げますダが、オラはオカルト分野に関しては未踏に等しい人間ダすが、彼の経験はオラと共通点が多いダ。

真面目な気持ちでご覧になりたい方は ここクリ⇒

黙 祷2009年07月30日 11:02

■ 1991年(平成3年) JAL I'LL CM出演:川村かおり(弱冠二十歳)
■ 1991年(平成3年) JAL I'LL(HAWAII篇)
日本人の父とロシア人の母の間に生まれたハイブリットである彼女は、身長約168cmの 透明感ある"美少年"と呼ぶに相応しい女性だったダな。最近はよく土屋アンナ氏と混同されていたようダすが、別人ダすよ えぇ。 漫画が原作の邦画「NANA」では 大崎ナナを中嶋美嘉氏が ビジュアル面で なかなかのハマり役で演じていまスたが、20代半ば以降の川村かおり氏は 更に大崎ナナの雰囲気を溢れさせているダす。歌はこの通り 決して上手いとは云えませんダがね、お話はとても楽しくて、いつも正直で純粋な人柄の良さが滲み出ていまスた。

「笑っていいとも!」
テレフォンショッキング 1990年8月8日の動画
(19歳当時)


この頃の彼女は本当に可愛らしくて綺麗ダすね。ロンドン滞在中に腰まであった超ロングヘアを一気に「スキンヘッド」にして父親が絶句した話や、弟(川村 忠さん)がロンドン留学中にブリティッシュ・パンクに目覚め、突然モヒカンヘアにして帰国した折、父親が愛犬を撫でながら「お前だけだよ・・・」とぼやいていた話、森田氏にお願いされて流暢なロシア語で喋るシーンが残されているダす。

丁度夏休み期間でスたので、リアルタイムで見ていて爆笑したのを 覚えているダすよ。後で知った話ダすが、彼女のご両親はお父様が早○田大学、お母様がモス○ワ大学と、共に名門を出るほどの知性派なんだそうダすな。子供たちが反発するかのようにはじけてしまったのは予測できなかったダしょうなあ。でも、愛情一杯、情緒豊かに育ったのが 彼女の話や歌詞から伺えるダよ。

「39番目の夢」川村かおり 1990年

明日も友達に会えますように
大好きな人と明日も会えますように
“君と僕とは違う人間だから”なんてくい違いはない方がいい
言葉が心の反対車線を走りませんように
片想いが少しだけ伝わりますように
泣く事が少なくなりますように
泣く事が10000回あったら
笑う事が1000000回はありますように
笑ってばかりで退屈になったら
つらい事を少し下さい
水族館の魚がいつか海へ戻れますように
渚で彼等に会ったら挨拶交せるかな
動物園の動物が自分の国に戻れますように
盲導犬に星のありかがしっかりと見えますように

手をのばしても届かない夢に
僕のブーツにからまる現実
できるだけできるだけ近づけたいと
思う僕でありますように

成功した人をねたんだりしませんように
ねたんだとしても自己嫌悪に陥りますように
外国にしかない野菜を買うよりもつくしんぼを探すのが好きで
人の傷みかわかっていられますように
一生唄がうたえますように
唄が僕の人生をきっと超えますように
初めてのライブ あの体の震えを忘れませんように
僕が泣いたり怒ったりすることが何かにつながりますように

毎年4月にはきちんとタンポポが咲きますように
その綿毛のようにみんながフワフワと自由でいられますように
氷河期が来てもTシャツ1枚で平気な日がありますように

幾千万もあふれだす夢に
この胸の中 やせっぽちの現実
あきらめずあきらめず近づきたいと
歌う僕でありますように

すべての兵器が一瞬で消えますように
原子力発電所がなくなりますように
中国に平和が訪れますように
誘拐や強盗がなくなりますように
軽はずみなSEX その落し子が減りますように
あの日の事を君が忘れてくれますように
“嫌いだ”といった僕の事を忘れてくれますように
僕の記憶から消してしまいたいものがこの夢から
さよならしてくれますように
この国がもっともっと好かれる国になりますように
誰にでも優しい国でありますように
死刑になる人もする人もいない方がいい
病気だってこの世にない方がいい
何の為に生きているかなんて一生わかりませんように
死ぬまでわかりませんように
死ぬまで

そして彼女の19年後。
オフィシャルブログ「川村カオリの調子はいいんだけど…。」より
by Ameba

「ありがとう。」 川村かおり 2009年4月22日

ありがとう。ほんとありがとう。
悔しいさ。じたんだ踏むさ。不安さ、毎日。出来る事が出来なくなってく自分を受け入れて行くのは容易じゃないみたいで・・。

階段を上る事
お茶碗を持つ事
字を書く事
メールする事
靴をはく事
運転する事
ギターを弾く事
唄う事

何もかもが当たり前じゃなくなってる。
それでも生きてるだけましか・・・。


うん。
生きてるもん。
まだ笑えるだけいいよね。

よし!!
笑いのネタ再度募集する!!

「友人からの手紙」 川村かおり 2009年6月11日

危険から守り給えと祈るのではなく、
危険と勇敢に立ち向かえますように。

痛みが鎮まることを乞うのではなく、
痛みに打ち克つ心を乞えますように。

人生という戦場で味方をさがすのではなく、
自分自身の力を見いだせますように。

不安と怖れの下で救済を切望するのではなく、
自由を勝ち取るために耐える心を願えますように。

成功のなかにのみあなたの恵みを感じるような
卑怯者ではなく、失意のときにこそ、
あなたの御手に握られていることに気づけますように。

(ラビンドラナート・タゴール『果物採集』より 石川拓治訳)

― 黙 祷 ―

残された彼女の娘「るちあちゃん」もまた、彼女のように強くて情緒豊かな大人へと育っていくことを切に願うダす。真の愛情に時間は関係無ぇダよ。たった7年間だったかも知れないダが、るちあちゃんは 母の愛情を最大限に受け、自らの愛情を素直に表現すること、伝えること、そして最愛の人が日に日に死への階段を登る姿を間近に見、死ぬ瞬間を見届け、失うことの辛さを 幼くして一気に経験したダな。

オラはそんなるちあちゃんを可哀想だなどと思うまい。可哀想とは、オラにとっては傲慢な言葉でしか無いダよ。彼女も頑張ったが、るちあちゃんも懸命に頑張った。だからこれからも頑張れるダよ、絶対に。るちあちゃんは、親離れしなきゃならない時期が普通の人より十年ちょっと早かっただけダす。それらの苦難を乗り越えて 自分の道を自力で切り開く為に 自ら彼女を母とすることを望んで生まれてきたダすから、必ず乗り越えられるダすよ。だから オラはあの娘を可哀想だなどと思うまい。

いつまでも感傷的になるのは良くないダ。
オラはオラの道を行く。
「どう生きるか」じゃなくて、「どう死ぬか」を考えて生きて行くダよ。

本日もよろしくお願いしますダ。

献 杯2009年07月30日 08:27

 今朝の東京は晴れ模様ダすよ~気持ちの良い朝だねぇ。

両親は共に戦中生まれていても、オラの生まれた年代が
「真性団塊ジュニア」と呼ばれていることに 内心、少々違和感を感じている榮華楼ダす。はい、みなさんおはようさん。どなた様もおはようさん。

ああ、大体の年齢がお察し頂けると思うダすが、オラは「バブル世代」では無く、「氷河期世代」・「ナナロク世代」なんダすよ。えぇ。本日もどうぞよろスく。

 先日惜しくも亡くなった 川村カオリ氏

オラにとっての彼女は 新しい「平成」という時代と共に現れた、美しくもハンサムな女性であり、エキゾチックなロシア語に触れるきっかけを作ってくれた女性だったダなあ。歌は決して上手いとは思えなかったダが、思わず目から汁が出てしまうほど 胸に響く詞を書く方だった。彼女の壮絶ながらも強く生き抜いた姿に、心から拍手を送りたいダ。

慎んでお悔やみ申し上げます。


 さて、オラは歌よりも毎週末の金曜~土曜は『川村かおりのオールナイトニッポン』のお世話になっていたので、当時をよく覚えているダよ。丁度その頃は中学3年生で、公開模試のランキングと偏差値と睨めっこしながら受験勉強真っ只中だったなあ。勉強に疲れてウトウトしていると、コンポのラジオからグッドタイミングで「寝るなあああ!」「寝てンじゃねぇぞー!」と声が掛かるので、その度ハッとして目を覚ましていたダよ。確か3:00~5:00AMの2時間放送だったと思う。みなさんはどうでスたか?十代でオールナイトニッポンの洗礼を受ける人も少なく無いように思うダすが・・・!?

彼女の元気な声と、同世代のリスナーとの一体感が好きで、最終回まで飽きずに聞いたもんダす。(彼女の後任は電気グルーブだったね) 最終回に彼女が云った一言は、当時のオラにとって、とても共感できる言葉だったダよ。勿論未だにその言葉は オラの胸に生き続けているダす。その言葉とは、これだ。印象に残っている人もいると思うダ。(間違っていたらごめんさないよ)

「今まで築きあげたモノを いつでも 捨てられる人で在りたいです」

これ、当時二十歳やそこらの彼女が云った言葉ダすよ。破天荒なように見えても、心の中では若くして色んなことを悟っていたと感じるダす。欲にまみれてしまった現代人には なかなか言える言葉では無いなぁ と思う。


 百尺竿頭進一歩[ひゃくしゃく・かんとう・に・いっぽ・を・すすむ]という古い禅語があるダす。今風に言っちまえば、ピラミッドの頂点に登りつめても、更にその先の一歩を踏み出せ!努力し尽くし頂点に立って尚、更なる努力を尽くせってぇ意味なんダすよ。ネットで調べると詳しい意味が探せると思うダすが、本当はその先に もっと大切な意味があるダすよ。

百尺(約30メートル)もある高い竿の先に登りつめること。それには人によって苦労に苦労、努力に努力を重ねてだったかも知れないし、運の良い人は簡単に登り切ってしまったかも知れない。または、誰かの助けを借りて登ったかも知れないダね。

例え 想像を絶する程の苦労や努力をして登りつめたとしてもサ、その位置に酔いしれて 傲慢になって胡坐をかいてるようじゃあ、ただの天狗なんダすよ。その先に竿が無くとも 更なる一歩を踏み出すことをしなけりゃね。

だども、その先の一歩を踏み出したことで 竿の先から一気に落っこちてしまうかも知れない。落ちてしまえば 地面から再び竿の先に登り直さなければならないダな。でも、人間、それでいいんダすよ。何度でも竿の先から落っこちて振り出しに戻るってことが何より大事ダす。いつでも 初心に戻るという心の姿勢を持つことの大切さを教えてくれているダすな。

自力で登った人は、彼女のように いつでも竿の根っこに戻って、何度でも新たな竿に登り直す努力をするダが、苦労や大きな努力もせず 安易に登りつめちゃった人は 落ちるのが怖くて、登り直すのがイヤで、なかなか出来ないもんだと思うダすよ。

そして、落ちてしまった人を指差して嘲笑ったり 見下したりする人もまた、落ちて登り直すことを知らなかったり、今の自分に傲慢な胡坐をかいて満足している 発展途上人なんダすよ。人間、それじゃあ駄目なんだと思うダす。苦労や努力をして初めて 相手の苦労や痛みが理解できるようになるもんだと思うダすよ。

 生前 「弱冠二十歳」の川村かおり氏が云った一言が、この言葉の真意を物語っていたもんで、つらつらと書き綴ってみたダす。どこまでも美しくて勇敢だった彼女に献杯。かおりさん、38年間の人生、お疲れ様でスた。

К дому души переполняет в влюбленности

#次のログでは オラが好きだった彼女の詞と、当時の彼女の動画をペタリーノするダよ。お好きな方は引き続きご覧下され。